Uターン転職
転職して地元にUターンしてきました!!
・きっかけ
元々、地元に近い場所に引っ越したい気持ちはあったのですが就職先が地元から遠い(新幹線の乗り継ぎで約6時間)ため無理かな~と思っていました。
しかし昨年の出張を経て
・上司への不満が募った(立場が上になればなるほどパワハラがきつい人だった、自分は役職がないから何も言われなかったですが、パワハラをされた上司の雰囲気が最悪だった)
・これから体力が落ちていく中で働き続けられるかの不安
繁忙期が7か月もある(5月~12月)、出張が多い(180日ルールギリギリまで出張する)、繁忙期はほぼ12~14時間労働
・介護が始まると地元に帰らないといけないが地元が遠い
・10㎏のものを日常的に運ばないといけない、148㎝理系院卒運動部経験なしには厳しい
・お盆が仕事で地元に帰れなかった、今後も出張で帰れない可能性は大いにある、地元が遠く長期休みがないと帰れないのに大丈夫なのか?
と色々考えた際に、今の職場で働き続けられるのは体力的にも30歳までかなあ、、、と思い仕事を変えることを決意しました。
仕事を変えるのであれば、より地元に近い場所に行きたいと考え転職を決意しました。
・スケジュール
海外出張と残業時間との闘いでした。
8月:帰国付近でエージェントサービスへ登録、面談
9月20日頃:最初の担当者が配転となり、再面談となる
9月23日頃:再海外出張となる
10月1日:引継ぎ先の担当者と面談するが、出張のため帰国後にしてほしいと保留に
10月4日:海外出張へ
11月11日:帰国
11月中旬:再度面談、東京~東北で就職先を探すことに
12月初旬:カジュアル面談・第2新卒をメインに書類応募
12月中旬~1月上旬:1次面接
1月中旬~下旬:最終面接
1月26日:内定
1月下旬:退職交渉
2月下旬:引っ越し先決め
3月中旬:最終出社、有給消化
・費用
だいたいこのくらいかかりました(一部切り上げ)
項目 | 価格 |
コピー | 950 |
切手 | 168 |
証明写真 | 1,300 |
住民票 | 1,000 |
すべてweb面接にしていただいたため、遠征費用はかからなかったです。
スーツは大学の入学式で買ったものを使いました。
書類を出すための切手代やコピー代が地味にかさみました。
むしろ引っ越し(家賃・家電)に費用がかかったため、転職活動でそこまで費用がかからず良かったと思います。
・感想
面接の中でUターン転職は歓迎されやすいと思いました。田舎に就職しても辞めないことは良い印象を持たれるのかなと思います(私が前の会社を辞めたきっかけの1つなので)。
自分が仕事を辞めても会社は潰れないので、辞めたい気持ちがあれば辞めるかどうかは別として仕事探しはやっておくべきだと思います。
地元に帰ってきて良かったという感想しかないです。
仕事もなんとかついていきたいと思います、、、
Uターン転職
転職して地元にUターンしてきました!!
・きっかけ
元々、地元に近い場所に引っ越したい気持ちはあったのですが就職先が地元から遠い(新幹線の乗り継ぎで約6時間)ため無理かな~と思っていました。
しかし昨年の出張を経て
・上司への不満が募った(立場が上になればなるほどパワハラがきつい人だった、自分は役職がないから何も言われなかったですが、パワハラをされた上司の雰囲気が最悪だった)
・これから体力が落ちていく中で働き続けられるかの不安
繁忙期が7か月もある(5月~12月)、出張が多い(180日ルールギリギリまで出張する)、繁忙期はほぼ12~14時間労働
・介護が始まると地元に帰らないといけないが地元が遠い
・10㎏のものを日常的に運ばないといけない、148㎝理系院卒運動部経験なしには厳しい
・お盆が仕事で地元に帰れなかった、今後も出張で帰れない可能性は大いにある、地元が遠く長期休みがないと帰れないのに大丈夫なのか?
と色々考えた際に、今の職場で働き続けられるのは体力的にも30歳までかなあ、、、と思い仕事を変えることを決意しました。
仕事を変えるのであれば、より地元に近い場所に行きたいと考え転職を決意しました。
・スケジュール
海外出張と残業時間との闘いでした。
8月:帰国付近でエージェントサービスへ登録、面談
9月20日頃:最初の担当者が配転となり、再面談となる
9月23日頃:再海外出張となる
10月1日:引継ぎ先の担当者と面談するが、出張のため帰国後にしてほしいと保留に
10月4日:海外出張へ
11月11日:帰国
11月中旬:再度面談、東京~東北で就職先を探すことに
12月初旬:カジュアル面談・第2新卒をメインに書類応募
12月中旬~1月上旬:1次面接
1月中旬~下旬:最終面接
1月26日:内定
1月下旬:退職交渉
2月下旬:引っ越し先決め
3月中旬:最終出社、有給消化
・費用
だいたいこのくらいかかりました(一部切り上げ)
項目 | 価格 |
コピー | 950 |
切手 | 168 |
証明写真 | 1,300 |
住民票 | 1,000 |
すべてweb面接にしていただいたため、遠征費用はかからなかったです。
スーツは大学の入学式で買ったものを使いました。
書類を出すための切手代やコピー代が地味にかさみました。
むしろ引っ越し(家賃・家電)に費用がかかったため、転職活動でそこまで費用がかからず良かったと思います。
・感想
面接の中でUターン転職は歓迎されやすいと思いました。田舎に就職しても辞めないことは良い印象を持たれるのかなと思います(私が前の会社を辞めたきっかけの1つなので)。
自分が仕事を辞めても会社は潰れないので、辞めたい気持ちがあれば辞めるかどうかは別として仕事探しはやっておくべきだと思います。
地元に帰ってきて良かったという感想しかないです。
仕事もなんとかついていきたいと思います、、、
インドネシアに海外出張に来ました。
インドネシアに海外出張に来ました。
私の仕事や普段のつぶやきについてはTwitterも見てください→@yama_seigi
このブログではアラサー女が海外出張で持ってきて良かったものについて書きます。
[スペック]
・20代後半
・女
・理系院卒
・生産技術
・休みの日は基本家から出ない
[持って行ったけど必要なかったもの]
・変換プラグ
・綿棒
・スリッパ
・シャンプーとかリンス
→この辺は全部ホテルにありました。海外旅行とかなら必要になるかと思います。
・カード複数持ち
→covid-19の影響でほとんど外に出られなかったので、クレジットカードはあまり必要性を感じなかったです。
ただホテル代は建て替えが必要なので、カードは持つべきかと思います。
・ポケットWifi
→これも観光しないなら不要かと思います。空港~ホテルの移動には必要ですが私は車酔いがひどく車の中でスマホを使わなかったので荷物になる割にはいらないかなと思いました。
・部屋着
→上はTシャツで良いし、下はワイドパンツが1つあれば十分でした。
[あって良かったもの]
・VPN
https://nordvpn.com/ja/summer-vacation-site/
→日本の動画配信を見るためには必須です。私はNordVPNを契約したのですが、Youtubeの日本限定コンテンツは見れなかったです。。。
ただ、アマプラやNetflixのような有料サブスクであったり、TverとかRadikoは見ることができたので契約する価値はあると思います。
・USB付きの電源タップ
→日本の電源タップは100V電源用なので、インドネシアでも使える240V対応の電源タップを購入しました。あとスマホが
会社から支給されるインドネシア用スマホ(Micro Type-B)
日本に電話かける用のスマホ(Type-C)
自分のスマホ(Lightning)
と3本もコネクタがあるのでUSB供給口があるのは嬉しかったです。
・日焼け止めとUVカットの眼鏡
→日差しが強いので持っていくべきだと思います。
・洗顔(クレンジング)
→日焼け止めを落とすためのクレンジングは必須です。私はビオレの洗顔とクレンジングが一緒にできるものを購入しました。そんなに化粧しないので強いクレンジングは不要だったので。
・着圧ソックスと湿布
→工場内を歩くととにかく疲れるので、絶対にもっていくべきです。
翌日の疲れが全然違います。
・保湿グッズ
→化粧水とかボディークリームとかですね。インドネシアは湿度が高いので乾燥することはほとんどないのですが、普段通りの生活をするために持ち込むべきだと思います。
また思いついたら更新します。
ギランバレー症候群だった話と幸村精市に共感した話
「リョーマ!」観てきました!
歴代テニミュリョーマキャスト舞台挨拶で揃うということで舞台挨拶をライビュで見ました。
※以下読む際の注意
○テニスの王子様より自分の話の方が長い
○文章が長い
○映画の話はない
よく歳をとると涙もろくなると言いますが、自分の経験が増えて共感してるからかな、と映画見て思い出したので書きます。
テニスの王子様に出てくる幸村精市という選手は、ギランバレー症候群に似た免疫系の病気にかかっていた過去があります。
自分は大学4年のときにギランバレー症候群という病気になりました。
昔は幸村精市の試合を見ても何も思わなかった(幸村ファンの方ごめんなさい)けど、今は試合出てるだけで泣いてしまうようになりました。
その理由が、幸村くんが学校で倒れて入院〜リハビリするシーンを見たときに、自分が入院した時と状況が似ていて共感しまくってしまったからになります。
「いつ完治するかわからない」
「元の生活に戻れるかわからない」
「周りに置いていかれる焦燥感」
「体が全く動かないことへの苛立ち」
テニスが楽しいと思えるはずないんですよね。外的な怪我と違って突然動かなくなる、いつ動くようになるかわからない、運動できるようになるかすらわからない・・・読んでいてボロボロ泣きました。
自分がギランバレー症候群にかかったのは大学四年生の4月で退院して大学に戻ったのは8月だったので、周りは院試の勉強してたり就活決まっていたり…置いていかれてるなと思いました。
もう一つ、幸村くんはテニスの試合に出られるまで体を作ったこともすごいと思いました。わたしは退院してからリハビリする過程で筋トレ趣味おばさんになってしまったんですけど…片足だけで力入れて動かす、とかはできない(ボルダリングやったとき足が上げられなくて気づいた)ので幸村くんは体が動かなくなってからどれだけ頑張ってテニスの試合ができるようになったんだろうと思ったんです。
だから幸村くんが試合するとき、どんなに辛かったんだろうとか、どんなに頑張ったんだろうとか、思えるようになって泣いてしまうようになりました。
映画はDecideを見たので、Gloryも見に行きたいと思います!
ギラン・バレー症候群になった話3
今回は6月〜退院までを書きます。
6月2日
スピーチカニューレが、チューブのない形に変わりました。
チューブがあると、誤嚥をした際に吸引することができるのですが、チューブがないとそれができなくなります。
本当は首の穴を塞ぐということだったのですが、寝るとき苦しいのでまだ変えないということになりました。
6月4日
どうしても横になると苦しいので、カニューレのサイズを変えてもらいました。どうやらカニューレが合わず苦しかったらしく、変更するととても楽になりました。
6月6日
喉の傷を縫って、完全に自発呼吸になりました。
正直痛くてそれどころではなかったです。
正座をしたり伸びたりすると痛かったので、どの筋肉が可動しどの筋肉が可動しないのかをリハビリの人と相談しながら筋肉を動かす練習をしました。しゃがんだり階段を昇ることができず、自宅復帰のためのリハビリを開始しました。
6月13日
喉の傷の治りが良かったため、抜歯しました。
6月15日
免疫グロブリン大量静注療法を再開しました。ものが二重に見えるのと、足を直すために行いました。
6月22日
退院前に外泊しました。初めて病院を外から見ました。
家に帰ると階段をのぼるのが非常に辛かったです。
6月25日
退院しました。ただ一人暮らしは厳しいとのことで、実家に帰って療養することになりました。
ギラン・バレー症候群になった話2
前回の続き、一般病棟に移ってからの話を書きます。ちなみに今回の入院が運転免許更新期間に被ってしまい、免許を失効してしまいました…
2016年5月12日
一般病棟に移ったため、携帯を使えるようになりました。ギランバレー症候群について検索し、なかなか症状が重かったんだなと他人事のように思いながら見ていました。誕生日おめでとうラインが来ていて、そういえば誕生日だったな、と思いました。
酸素吸入の機械がものすごくうるさくて、ICUにいた頃と変わらず眠れない日が続きました。
5月13日
ICUから移ったためストレスが減ったのか、自力で5分くらい座れるようになりました。ただ口が閉じれないので歯磨きもろくにできず、腕は動かないので物を取ってもらうにも人に頼むしか無く、テレビはものが二重に見えるのでよくわからず、声も出ないので相変わらずイライラしました。
5月16日
血中酸素濃度が良くなってきたので、人工鼻と呼ばれるものをつけることになりました。呼吸用に機械を動かす必要がなくなったため、非常に静かになりました。
また、この日から免疫グロブリン大量静注療法を再開しました。
5月17日
この日、入院してから初めて立ちました。
意外とすんなり立てました。
5月19日
廊下を歩く練習を始めました。目が悪くなっていたのでどこを歩いているかよくわからなかったのですが、部屋の外に出たのが久しぶりだったのでわくわくしました。
5月20日
この日から4人部屋に移りました。歯を磨いたり顔を洗ったり自分でできるのが非常に嬉しかったです。ただ部屋の人のいびきがうるさく相変わらず眠れませんでした…
5月21日
リハビリ部屋まで歩きました。理学療法と作業療法どちらもリハビリをしており、理学療法士の方と一緒に来たのですが、そのときリハビリ室にいた作業療法士の方に挨拶しにいくとものすごく驚いていました。
5月23日
スピーチカニューレという、話すためのカニューレをつけました。
約1ヶ月ぶりに話すことができるようになりました。
また、この日から食事ができるようになりました。
5月24日
やたら寒気がすると思ったら40℃近い熱が出てしまいました。
点滴を長期間つけっぱなしだったことにより細菌が入ったのではないかということで、点滴を抜くことになりました。
今まで足の付け根に点滴を刺していたのですが、腕に点滴を刺すことになりました。このとき4回くらいやり直して…結局手の甲に刺されました。痛かった。
5月25日
嚥下障害が改善されていたので、この日から普通食になりました。
味のあるご飯が食べられてすごく嬉しかったです。
5月27日
1ヶ月ぶりにお風呂に入りました。
こすっただけでタオルが黒くなっててなかなかひどかったです。一応毎日体は拭いていたんですけどね。
5月30日
歩いて1階の売店へ行きました。入院してから初めて病室以外の施設を見ました。
1階にエレベーターで行くだけでも相当疲れました。
ギラン・バレー症候群になった話
今回、ギランバレー症候群にかかり、退院するまでのメモとして記事を書くことにしました。
ギランバレー症候群は難病の一つであり、入院中は今後良くなるのかどうなのか不安になりました。そのとき、闘病記を色々読んで、ほぼ全員が社会復帰を果たしたと分かり、今後頑張って治療しようと思えました。自分も闘病記なるものを書いてみようと思います。闘病記というよりメモ書きのような気もしますが…
2016年4月11日
研究室メンバーと某チェーン店の焼鳥屋へ行きました。カンピロバクターがギランバレー症候群の原因の一つということで、この日に罹患したのではないかと言われていますが正確な原因は結局わかりませんでした。
4月15日
家に帰ると熱がありました。このときは生活が変わって疲れたんだろうな、と思っていました。
4月16日
病院へ。風邪だといわれ、解熱剤と抗生物質を貰いました。翌日には熱が下がりました。
4月17日
熱が下がると、やたら腹が痛くなり、昼はゼリーだけ…といった生活が1週間ほど続きました。胃腸炎は絶食が一番とのことだったので、早く治るのを祈るばかりでした。
4月27日
胃腸炎?が治ったのもつかの間、自転車をこぐと膝かっくんしたり、飲み物が飲めなかったり、なんとなく話しにくかったり…と謎の症状が出ました。ヤバいと思い翌日朝イチで病院に行こうと決意。
4月28日
何科に行くべきかがわからなかったため、とりあえず駅前の総合病院へ。病院に着くと転んでしまい、立てなくなっていました。
ここで病院の先生に「大きい病院で専門の先生に見てもらった方が良い」と言われ、親の電話番号やら体調を崩した経緯やら色々聞かれました。この辺からもしかして大きい病気なのか!?と考えるようになりました。
救急車で病院を移り、そこでギランバレー症候群と診断され、即日入院となりました。
この病気では腱反射の消失が見られるのですが、自分でもびっくりするくらい四肢全てで反射の消失が見られました。ナースコールが押せないくらい握力が低下し、ナースコールを改造してもらって足でボタンを押して呼んでいました。
4月29日
嚥下障害、四肢の筋力低下が見られたためICUに入院となりました。この日の夜、ほぼ息が出来ない状態となり、夜中に気管挿入を行いました。気管挿入を行うと声が出せなくなるため全く意思疎通ができず、手足は動かず、ものすごくイライラしました。
4月30日
正確な日付を覚えていないのですが…この辺りで免疫グロブリン大量静注療法を開始しました。
5月6日
治療の効果が若干見られ、ガタガタながらも文字を書けるようになりました。ようやく少しは意思疎通ができるようになりました。
主治医の先生から目が閉じれてないと言われ、初めて顔面麻痺があることを自覚しました。
5月8日
この日に22歳を迎えました。体がほぼ動かない状況で誕生日を迎えて、惨めだなぁ…とぼんやり考えながら過ごしました。
5月9日
気管挿入は感染のリスクが大きいため、気管切開を行うことになりました。
ただ気管切開は首を切ることになるため、しないに越したことはないと、一度自発呼吸ができるかどうか気管を抜くことにしました。
このときが入院していて一番死ぬかと思いました…。結局呼吸はできず、気管切開を行うことになりました。
5月10日
人生初の手術でした。良く覚えていないのですが、わたしは麻酔が効きやすい体質だったらしく、看護師さんに起こされても全く起きず起きたら母親以外いなくなっていました。笑
口から気管がなくなったためとても楽になりました。また右顔面が全体的に麻痺していることもわかりました。
5月11日
この日、理学療法士の方に手伝ってもらい座る練習をしました。久々に起き上がるとものすごく体が痛く、日々の動作には筋肉がたくさん使われているんだなぁと思いました。
5月12日
手術後の体調が安定していたため、一般病棟に移ることになりました。ただ、酸素吸入をする必要があったため、個室に入ることになりました。
一般病棟に移ってからは次に書きます。