ギラン・バレー症候群になった話
今回、ギランバレー症候群にかかり、退院するまでのメモとして記事を書くことにしました。
ギランバレー症候群は難病の一つであり、入院中は今後良くなるのかどうなのか不安になりました。そのとき、闘病記を色々読んで、ほぼ全員が社会復帰を果たしたと分かり、今後頑張って治療しようと思えました。自分も闘病記なるものを書いてみようと思います。闘病記というよりメモ書きのような気もしますが…
2016年4月11日
研究室メンバーと某チェーン店の焼鳥屋へ行きました。カンピロバクターがギランバレー症候群の原因の一つということで、この日に罹患したのではないかと言われていますが正確な原因は結局わかりませんでした。
4月15日
家に帰ると熱がありました。このときは生活が変わって疲れたんだろうな、と思っていました。
4月16日
病院へ。風邪だといわれ、解熱剤と抗生物質を貰いました。翌日には熱が下がりました。
4月17日
熱が下がると、やたら腹が痛くなり、昼はゼリーだけ…といった生活が1週間ほど続きました。胃腸炎は絶食が一番とのことだったので、早く治るのを祈るばかりでした。
4月27日
胃腸炎?が治ったのもつかの間、自転車をこぐと膝かっくんしたり、飲み物が飲めなかったり、なんとなく話しにくかったり…と謎の症状が出ました。ヤバいと思い翌日朝イチで病院に行こうと決意。
4月28日
何科に行くべきかがわからなかったため、とりあえず駅前の総合病院へ。病院に着くと転んでしまい、立てなくなっていました。
ここで病院の先生に「大きい病院で専門の先生に見てもらった方が良い」と言われ、親の電話番号やら体調を崩した経緯やら色々聞かれました。この辺からもしかして大きい病気なのか!?と考えるようになりました。
救急車で病院を移り、そこでギランバレー症候群と診断され、即日入院となりました。
この病気では腱反射の消失が見られるのですが、自分でもびっくりするくらい四肢全てで反射の消失が見られました。ナースコールが押せないくらい握力が低下し、ナースコールを改造してもらって足でボタンを押して呼んでいました。
4月29日
嚥下障害、四肢の筋力低下が見られたためICUに入院となりました。この日の夜、ほぼ息が出来ない状態となり、夜中に気管挿入を行いました。気管挿入を行うと声が出せなくなるため全く意思疎通ができず、手足は動かず、ものすごくイライラしました。
4月30日
正確な日付を覚えていないのですが…この辺りで免疫グロブリン大量静注療法を開始しました。
5月6日
治療の効果が若干見られ、ガタガタながらも文字を書けるようになりました。ようやく少しは意思疎通ができるようになりました。
主治医の先生から目が閉じれてないと言われ、初めて顔面麻痺があることを自覚しました。
5月8日
この日に22歳を迎えました。体がほぼ動かない状況で誕生日を迎えて、惨めだなぁ…とぼんやり考えながら過ごしました。
5月9日
気管挿入は感染のリスクが大きいため、気管切開を行うことになりました。
ただ気管切開は首を切ることになるため、しないに越したことはないと、一度自発呼吸ができるかどうか気管を抜くことにしました。
このときが入院していて一番死ぬかと思いました…。結局呼吸はできず、気管切開を行うことになりました。
5月10日
人生初の手術でした。良く覚えていないのですが、わたしは麻酔が効きやすい体質だったらしく、看護師さんに起こされても全く起きず起きたら母親以外いなくなっていました。笑
口から気管がなくなったためとても楽になりました。また右顔面が全体的に麻痺していることもわかりました。
5月11日
この日、理学療法士の方に手伝ってもらい座る練習をしました。久々に起き上がるとものすごく体が痛く、日々の動作には筋肉がたくさん使われているんだなぁと思いました。
5月12日
手術後の体調が安定していたため、一般病棟に移ることになりました。ただ、酸素吸入をする必要があったため、個室に入ることになりました。
一般病棟に移ってからは次に書きます。